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  • 執筆者の写真tokyobruxelles

戦うべきか、戦わぬべきか

以前まではどんなときでも戦わない道を探して戦いを避けるようにするのがよいのだと何となく信じていました。戦争の話ではなくて、人生とか人間関係での話です。でも、ベルギー人の夫は、 必要があれば戦うべき、相手に自分の強さをわからせるべき、自分の大切にしていることは自分で守る という信念(・・・だと思う)です。人間関係の相談をしたとき、仕事での悩みを相談したとき、夫がいつも熱く真剣にそのように話すのを聞いて、戦える強さを身につけるのは必要なことなのかも、と感じるようになりました。

子どもの頃から日本人は、けんかはだめと言われて育つことが多いと思うし、自己啓発の本なんかにも、相手にした事は自分に返ってくるとか相手にしないのが結局賢いとか、戦っても後で結局嫌な思いを味わうよ、みたいなことがたくさん書かれているし、特に女性は戦わずひらりと身をかわすか愛のある対応するのが素敵な大人だ、みたいなイメージが一般的かと思う・・・というか私はけっこう強くそうあるべきと思っていました。戦うの怖いですし。人が戦ってるのみてても怖い。

でも戦わないでいると自分の中にうじうじしたものが溜まって消化できず、最終的に自分はダメだという思いこみが残るような気もしてきました。いざ戦ってみると意外と何にも残らなくてカラッとする。

ここで言う戦う、って具体的には、仕事でも嫌な事言われたりされたときに嫌だというとか、侮辱されたら怒るとか、殴られた殴り返すとか、そういうことです。

戦える人をみていて何よりも感じることは、人の目を気にしていない自分への真剣さが人に何かを伝えるし人に無駄になめられない気迫をうむなということです。それで、私が戦えなかった理由は、自己啓発本に書いてあるようなちゃんとした理由に納得して戦わぬことを選んでいたわけではなくて、 こんなこと言ったらものわかりわるいって思われるなとかめんどくさいやつとレッテル貼られるのが怖いとか、人からこんな風な人間だと思われたら嫌だ っていうことだったのだなと気が付きました。

ベルギー人に限らずヨーロッパの人は日本の人に比べて自己主張が強いというのは一般的なイメージだと思うのですが、それってヨーロッパ人は日本人に比べて人からどう思われるか気にしないってことなのだと思います。

他人に自分の強さをみせるためだけの戦いは戦いと言えないけど、自分の中から怒りが湧いたときには他人にどう思われるか気にせずに戦える強さはもっていようと思う近頃です。



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